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第二章 未知の世界 1

「いってらっしゃい。気を付けてね。あ、貞明さん、今日はいつものランチ会だから昼間は留守にします。電車なので車は置いていきます」
 行ってきますと言った娘が夫のセダンに乗り込むと、貞明さんも頷いてから乗り込んだ。一瞬見せてくれたエクボに少しだけときめく。
「いってらっしゃい」
 走り出す車にいま一度言ってから、五軒ほど先の角を曲がるまで見送った。小さく息を吐いて、なんとなく空を見上げてから玄関に入った。

 それからの一時間は慌しかった。いつものちょっとのお茶タイムはなし。床に軽くフロアモップをかけてからランチのための服に着替えて美容院へと急いだ。
 美容院を出て、電車に乗って、待ち合わせ場所のエレベーター前に着いたのは丁度十二時だった。今日のランチは、高層階にあるレストランでのブッフェ。到着には数分だけどまだかかる。今どこ?なんて連絡が来ないかとヒヤヒヤしながら携帯を眺めていると声をかけられた。
「小柴さん」
 振り返ると二人の女性。長嶋さんともう一人の女性は金子さん。二人とも寸分の隙のない出で立ちでこちらも嬉しくなる。
「あ、長嶋さん、金子さん。良かったぁ。一人で遅刻かと思って慌てていたの」 
「電車、遅れていたものね」
 と、金子さん。
「あ、そうなの?」
 気が付かなかった。なんて、つぶやきが悟られたみたい。
「車?」
「ううん。電車……だけど、気が付かなかった。あんまり乗らないから、来たのにふらっと乗っちゃって」
 言ってから、ハッとした。瞬時に、探るように金子さんと長嶋さんを見た。すると、長嶋さんは、大袈裟に眉間に皺を寄せた。
「あたしもぉ。家からだったら、絶対にタクシーだったよ。ちょっと義理母のところに用があってさ。そうしたら、ちょうどホームで金子さんに会ったの」
「ふーん。そうなの。あ、二人は近いんですよね……あぁ、それ素敵。鞄」
 私は、長嶋さんが持っている小さなハンドバッグを見ながら言った。
「え……へへ。ありがとうございまーす。主人からのプレゼントなの。出張のお土産」
 長嶋さんは、テラコッタカラーのレザーを撫でて微笑む。
「へー、羨ましい。仲良しなのね。愛されてるぅ」
「うふっ。まぁね。一応、お留守番のご褒美は毎回あるの。大好きなアルマーニのワンピースもあったんだぁ。もう少し暑くなったらお披露目するね……とかいってさぁ、小柴さんだって仲良しでしょ。ご主人は御嬢さん想いで。うちの子がね、光莉ちゃんのお父さんってカッコいいねとか言うの。たまに朝見かけるみたいで」
「うん。光莉にはマメ。まぁ、光莉の方には時々思春期特有なことがあるけど、うちからは学校が遠いから、渋々というか。朝は一緒に出て行くの」
「あ、やっと来たわよ。乗りましょう」
 私たち三人は、エレベーターに乗り込んだ。

 毎朝、貞明さんは娘の光莉を中学校まで送ってくれている。娘の学校が遠いから。
 私立中学への進学を強く勧める私の両親と公立を推す夫との板挟みの時には、気を揉んだけれど、結局娘は私立中学への進学になった。
 光莉がどうしてもと希望したからだ。その意思を娘から直接聞くや否や夫は心から光莉を応援する側に回ってくれた。そのための塾のお迎えも時間が許す限りしてくれたし、模試の結果に落ち込む光莉に上手なアドバイスをしてくれた。夫は優しい。そして、それは結婚をする前もしてからもずっと。私への態度もまったく変わらない。
 夫は、五つ下の医師で私の父の病院で副院長として働いている。夫との出逢いは、二十年前。私の一目惚れだった。
 綺麗な顔立ちで医師。性格にも難はない。周りの女性が放っておくわけがなかった。だから、解釈の仕方によっては、私はかなり強引なことをしたのかも知れない。でも、後悔なんてしていない。
 私との結婚を決めて、姓まで変える時に彼が周囲のごく一部の人に中傷されたことを知っている。
 代々医師である家系に潜り込みたいのだろう。学費ローンの返済のために身売りしただけだろう、と。
 正直に言えば、私はそれでも良かった。病院を継ぐ者となれば、多少の打算が働く者でなければいけない。出世のため、どうせ腰を下ろすのならば上等な椅子がいい、など。
 ……いえ……いえ、違う。誰かと共にならなければいけないのであれば、死が二人を分かつまでと誓わなければいけないのであれば、私は、貞明さんが良かった。私は貞明さんに夢中だった。だから、貞明さんが結婚したいと言ってくれた時に、私は、私の全てを貞明さんに捧げようと誓った。私を選んだことを決して後悔なんてさせない。同期の誰よりも出世させて、贅沢をさせて、幸せにしたいと考えた。
 その想いは、いまだに裏切られていない。
 たくさん欲しいなと言われた子供こそ一人ではあったけれども、貞明さんは娘にも私にも惜しみない愛情を毎日注いでくれている。
 私は、とてもしあわせな女なの。

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